キャッツ会のはなし

木更津の不登校、ひきこもり経験者交流の場を月に1回開いています。 当事者に限らず、周囲の人も。                   自分の過去なども書いています。cats.kisa@gmail.com

自分にオシャレを許可してあげる

前回の記事の続きです。


いじめ後遺症から遠いようで、実は近いです(笑)


いじめられ続けて心が麻痺すると

綺麗なものを、綺麗と感じられなくなるのかな、と。

自分の感性を押し殺して生きていくと

自分の心が何に反応するのかよくわからなくなる。

なので、オシャレするってよくわからなくて。



そうすると、女性の中で必要な共感や同調ができなくて

一緒に居ても孤独感だけなのかと。


綺麗なもの、が

自分とは全く正反対にあるような。



きっといじめられ経験が無い人も

空が綺麗過ぎて泣きたくなるときってありませんか?



そんな感覚が、ずっとありました。



それからもう1つ、オシャレできなかった理由。

自分が自分を大切に思えなかったから。

外見を気にかけてあげられなかったんです。

余裕もなかったし。

こんな中身の無い自分が、外見磨いても仕方ない、みたいな。


ここ数年ですね。

たぶん働き出して、自分のお金で好きなものを買えるようになって。

自分のお金なので、変なもの買ってもまぁいいかと。

そうそう、ここも失敗しながら

自分の好きなオシャレやファッションを知っていきました。


(これが最初に書いた、「働きやすい職場で働けたこと」にもつながる)


自分の好きなものを感じられるくらい、心が回復してきて

自分の外見を気にかけてあげてもいい、て

自分が自分に許可できたんです。


そしてここ数ヶ月は

もうあんまり、人にこだわらなくなりました。

キャッツ会がある安定も関係しているかもしれません。


女性とも、年代関係なく

仲良くなれる人も居るし、仲良くならない人もいる。


究極、ひとりでも大丈夫なんです。

前の、強がってる感じとは違って

ひとりを楽しめるようになったと言うか。


それって、最強なんですよね(笑)


こう書くと、すごく自立してるように思えるけど

ブレながら、そんな自分になっていってる気がします。


それは今年の大発見でした。

また違うテーマなのでこれはまた今度。



自分にオシャレを許可して

オシャレを楽しめると

外見を褒められるようになったりして

さらに自分大丈夫、につながる気がします。


今、自分をダメだと思いやすい人は(私もまだまだ思います)

オシャレしてみるのもオススメです。

オシャレできない人は

「今、オシャレできないくらい疲れてるんだなぁ、心弱ってるんだなぁ」と自分に優しくしてあげてください。


急なオシャレて、ちょっと恥ずかしいから

部屋着からスタートするのもオススメです。


私、書いているうちに最初の話からそれる傾向があるので

ちょっと心配です(笑)










いじめ後遺症3

前回の記事を書いてから

なんとなく、違和感みたいなものが自分の中にあって。


前回の記事、さらっと書き過ぎたなぁと。

学校へ行けなくなり始めたときや、進路が見えなくて苦しいとき

図書館や新聞で

私と似たような体験をした人の文書を読んでみたりしました。



その時に感じた違和感と似ていて。

「この人も辛かったみたいだけど、どうして大丈夫になったのかよくわからない。苦しかったみたいだけど、この人だから乗り越えられて、私には無理なんじゃないか」という感じの。

もし苦しい中に居た過去の自分が読んだら

「この人だからいけふくろうで友達ができたんだ、私にはできない」みたいな(笑)



でも、今ならそのとき、その人達の文章がさらっと感じた理由もわかります。

本当に当時の、どうしようもない感情からは抜けちゃったんですよね。

良いことではあるんだけど。

それから、今も残ってるドロドロした感情て、残った分、濃くなってて

あまりにも煮詰まってて

簡単に文にできないんですね(笑)


なので、同じキャッツ会の世話人

ブログ書いてるディーンの文章はすごいなぁと。

さらっとし過ぎてないし、煮詰まってもなくて

自然に心に入ってくる感じで。

ちゃんと自分の弱さも書けてていいなぁと。


私も、自分のもっと奥の部分を書きたいなぁと。


ということで(笑)

私の同年代の女性が苦手について、もう少し。

単純に怖い、ていうのはあるんですよね。

彼女たちが歩んできた道とは違い過ぎて、こんな自分が近づいて良いのか、みたいな劣等感や

話す内容がどうしても合わない感じを、1人で気づくと感じててとても寂しくなってしまいます。

(あ、勝手に壁を作ってるのもあるんでしょうね)


それでも、たまーに友達になれる人がいて

嬉しくて、嬉しくて

距離が近くなり過ぎて

相手にとって私が重くなったり

私が相手を重く感じちゃったりして

離れるんですよね。


その失敗を繰り返してます(笑)


いけふくろう で友達ができるようになった理由をちょっと考察してみると

2つの理由があるのかなぁと。


1つ。私、いけふくろうにそんなに期待していなかった。

最初は

「1人でも話せる人いれば、いいかなぁ」という軽さで参加したんです。


なのであんまり期待せず、居たことかな、て。

上に書いた女性との距離感とも同じで

期待すると、重くなるでしょ(笑)



あとね、2つめ。

たぶんこれが今日のメイン^_^


私、何回も何回も失敗してるんです人間関係。

誘われてももう二度と行きたくない場所もあるし、

行っても自分らしく居られないつながりもあります。

そうやって経験してきた学びと

タイミングが、いけふくろうは良かったんでしょうね。



同年代の女性とは心の傷に近い部分だから

避けやすくて経験不足で

今も苦手意識が残っちゃったんでしょうね。


女性て、群れるじゃないですか。

それって本能に近くて

共感や情報共有をすることで

生き延び易かったんですよね、古代。


でもその群れの中にどうしても入れない自分て

すごく生命体として弱い感じなんです。

動物も、そんな感じですよね?

群れに入らないと大変です。


その自分を直視したくなくて

弱い自分を感じたくなくて

ひとりでどこへでも行けるようになってしまった(笑)



女性を苦手な理由は

自分の自信の無さがすごーくわかりますよね(笑)

女性は自分を着飾ったり、綺麗なものがすごく好きな人が多い。


私、自分にオシャレして良い許可を出せるようになったのは

ここ数年です。

うん、1年半くらいです。


なので、みんながブランドの話しをしたり

流行にそったオシャレをすることが理解できなかったんですよね。

(あ、これは今もちょっと疑問)


それにも2つの理由があって。

でも、長くなるからそれは続く。















いじめ後遺症2

 前回の続きです。

私はいじめのテーマだときっとたくさん書きたいことがあるので

今回は最初から話題を決めて書きます。

・今の私の現状

・いじめ後遺症に効果があったこと

この2つについて

kisaraduchancats.hatenadiary.jp

 

この後遺症、私は病院でPTSDと診断され、定期的に通っていました。

今はどのくらい自分に影響を与えているのかな。

 

前回の記事に書いたぐらいに怒りや悲しみは残っているんだけど

やっぱり、人間関係を築くときにすごく影響されてますね。

一番に、同年代の女性が苦手です。

幼児期は男の子にもいじめられていたけど

小学生になると、私は運動神経が良いことを知って(笑)

男の子に混ざって球技をしてましたね。

私は同じ学年の一番足の速い男の子よりも、足が速かったので

そういう利点もあって、チームに入れてもらえてました(笑)

なので今も男性との方が緊張せずに友達になれます。

女性の方が緊張してます。距離感が難しくて。

 

いじめられた人って、いじめの原因は自分にあると思うんですよね。

そのためか、物事がうまくいかなくなると自分を責めやすい傾向はあると思います。

責めてもなにも好転しないのを、知ってはいるんだけど。

責めるのを防ぐ方法としては、疲れすぎない、ですね(笑)

 

では、後遺症を癒していくのに何が効果があったか。

重症の時はもちろん専門家です。病院のカウンセリングでした。

こんがらがった頭と心を、ゆっくり解いていってくれました。

 

でも人との中でできた傷って、やっぱり人の中で癒されるのが一番な気がします。

 

私は、こんな感じ。

・いけふくろう のような同じような仲間と過ごすこと

不登校やいじめ全く関係ないところで人間関係を作ること

(↑これは明るい自分を演じてみよう!くらいな気持ちで)

・海外に出ること

・家族と話すこと(後遺症があるってことを伝える)

・自分が楽しいと思う職場で働くこと

(ボランティアでも良くて人の役に立つ感じが自分を肯定してくれるから)

 

本当は一つ一つ書きたいのですが、

いけふくろう のことを。

いけふくろう 私にはとても必要な場所でした。

今までの人間関係では上に書いたように、少し演じるんです。

だってまたいじめられるかも、という恐怖は抜けてないので(笑)

でもいけふくろうでは、そのままでよくって

気づいたらいけふくろう以外の場所でもだいぶ自分らしく居られるようになって。

「何かあってもいけふくろうの仲間がいる」と思えたからですね。

これは、とてもとても生きやすくなりました。

 

でも気を付けないと「いけふくろうの仲間に嫌われたらどうしよう」が

出てくるので

疲れすぎないように、でも自分の肯定感を自分で上げる努力を忘れずに、

というのが大切かなぁと思います。

 

自分で自分の肯定感をあげるって、どうやったらできると思いますか?

なんかこれってすごく永遠に努力することなんだろうなぁとも思います。

自分を好きでい続けること、でもあるし

自分を大切にして過ごすこと、でもあります。

 

詳しく聞きたい人は、ぜひキャッツ会に遊びに来てくださいね。

そのうち気が向いたら、書くかもしれないけど。

 

次回のキャッツ会は12月16日です。

cats.kisa@gmail.com

 

 

いじめ後遺症

年末に向けて、いろいろ断捨離しているのですが

掃除の途中、新聞の切り抜きを発見しました。

以下、少し内容は違うのですがリンクを貼ってみます。

 

https://t.co/QnyinBXqqo

 

これを読んだとき、衝撃でしたね。

私と同じような人がいるんだなぁと。

もう4年前の記事なので、きっと今はもっと研究されているのではないでしょうか。

そこからもっと、いじめって犯罪で絶対にやってはいけないことって広まるといいな。

 

いじめって、その時期だけで終わらない。

いじめられた日々で聞いた言葉や辛い場面は

ずっとずっと、自分を責め続ける材料になるんですよね。

 

すごく過去のことで、子供時代のことで

今は大人なのに、ずっとあるなんて。自分でもびっくりするくらいです。

なんというか、悔しいんですよね。あの人たちの影響が今の自分にあるってこと。

そんなことすっかり忘れて生きていたいじゃないですか。

 

子供時代って、もっと無邪気で楽しくて、生きていることを喜べて

いろんな人に接したり、好きな人ができたり、ただ笑って過ごしたり

そういうの、すごく羨ましかったです。

 

5歳の頃から「なんのために生きるの?どうして生きなくちゃいけないの?」

と日々考えていました。

生き続けていたのは「家族が悲しむから」と「未来の自分はきっと楽しい」

それだけを希望にして、生きてました。

 

「自分がどうしたいか」てことではなく

「どう振る舞えばここではいじめられないか」

てことを考えて人の中にいましたし

どんなに優しくしてくれる人でも、心を近づけようとしてくれる人にも

「いつか居なくなるのだから」という距離感で

「本当の私を知ったら嫌われるのだろうな」と疑っていました。

人と親しくなることは怖かったので、一定の距離を保ってましたね。

 

それから周りの大人はなんて馬鹿なんだろうと思っていました(笑)

まあ、助けてくれなかった大人を恨んでたんでしょうね。

なんで大人は気づかないのでしょう?

私が先生だったら絶対に気づく自信あるんだけどな。

気づいていても、「あなたが我慢していればいいのだから」という先生もいたけどね。

たぶん教師という仕事は私が思っている以上に大変なのだとは思うけど。

気づいてもそう言えちゃう先生の忙しさってなんだろう、

いじめは子供がつくるんじゃなくて、大人の無責任さも一つの要因だと思う。

 

あ、これも話がそれちゃうからまた今度ですね。

なんでいじめって起こるのか、いじめへの対処法とか

また書きたいです。

 

違うこと書こうと思っていたのに

なんかもっと、後遺症から立ち直る方法とか・・・(笑)

思ってた以上に自分の苦しさを書いてしまったので

次の記事に続きます。

 

 

 

人って不思議

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ここしばらく、1か月以上 いけふくろう の仲間に会っていません。

自分から「会おう!」というエネルギー不足なのかなぁと。

 

その代り、いけふくろう以外の友人から「会おう」と言われたら

まあなんとなく会ったりしていたのですが

(いけふくろう のときと違ってあまり喋らなかったりする)

そこで感じたこと。

 

「人の魅力ってなんだろう?」ということです。

きっとそれは人によって違うのですが

 

人に、最初惹かれるときってなんでしょう?

この人と仲良くなりたいって、どこから来るんだろう?

 

タイミングや場所にもよるんでしょうけど

私は人の中の「そのひとらしさ」や「自由さ」を感じると

「また会いたいなあ」と思うのかな。

なんか、キラキラしてるんですよね。

その人の「そのひとらしさ」のかたちを知りたいような、

その人のキラキラが何でできているのか探ってるような感じ。

 

仲良くなってきて、その人が見えてきたとき

それはもう、人として「好きだなぁ」になっていて

その人が私の理解できないようなことをしたり、喧嘩したりしても

もう好き、だからほとんど揺るがないんですよね。

あ、これは男女関係なく。

 

なので私の心を動かす「あ、いいな、また会いたい」て

なんなんだろうと。

最初のそれが義務だったり(人に紹介されたりでね)

なんか違うと思いながらも一緒にいてみる、をすると

 

「好きだなぁ」がないから

ちょっとしたことですぐ嫌になる。

だからって友達やめたりはしないけど

「最初の違和感は本当だったなぁ」て。

 

その人、私に流れている根本的な価値観が違うような。

でもそうやって感じて門を狭めるのは嫌なので

とりあえずは一緒にいてみる(笑)

 

ただ、最初にすごく惹かれた友人たちって

少しの間、例えば一年に1回くらいしか会えなくても心地よい。

結婚しちゃったり、外国へ行ったりで

その人も私も変化してても

私の中の「好き」がある限り、一緒に過ごせるんだろうなぁと。

お互いの「好き」があったら3年くらい会わなくても大丈夫。

その「好き」て不思議です。

 

「魅力」から「好き」に話題が変わってしまったけど

人を惹きつける魅力と

人への好き、を感じられる心を持って

生きたいなぁと思います。

 

あ、こんな話はなかなかキャッツ会でしませんが(笑)

そういう話のできる仲間が増えていったら嬉しいです。

次回のキャッツ会は16日(金)です。

お気軽にご連絡ください!

cats.kisa@gmail.com

 

11月のキャッツ会

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11月のキャッツ会、25日に開催しました。

初めましてのHさん、Tさん含め7人の飲み会でした。

 

Tさんは、私もいけふくろうでは1回しか会っていないY君の紹介で

ここまでたどり着いたとのこと^^

そのつながりが私はとっても嬉しかったです。

 

今回はドラマの話やカレー会の話をしました。

 

次回は12月16日です。

参加してみたい、とりあえずどんな会か聞いてみたい、など

お気軽にご連絡ください。

cats.kisa@gmail.com

10月のキャッツ会

先週、8日の土曜日に第2回めのキャッツ会を開催しました。

5人という少人数の開催でした。

あっという間に一週間経ってしまいましたね。

 

10月は、私にとっては苦手な月で

ちょっとグダグダしていました(笑)

秋って、寂しくないですか・・・。

 

キャッツ会では「こういう話題をブログに書くとどうだろう?」

世話人からアドバイスがあったんですけど

私、酔っ払ってすっかり忘れてしまいました。

申し訳ないです。

私のダメさがわかる記事になってしまいますね(^_^;)

 

私が覚えていることで、印象的だったのが

「居場所、探すよね?」という話題。

「ここが居場所だ」て思えるまで、もしくは

「ここなら居場所になるかも」と思える場所を見つけるまで

探して、いろんなところへ行ってみるよね、という。

 

誰かがその居場所探しの途中、キャッツに出会って参加してくれたとき

私はその人に、居心地の良さを提供できるかな、て。

 

私、今はすっかりいけふくろうが居場所だけど

まず一歩の居場所は、違うところでした。

そこでは、すごく泣いたし、人間関係を作るのも大変でした。

それは、その場所に問題があったのではなくて

私が、人と関わるのに慣れていなかったからです。

それでも、周りの人達があたたかく一緒にいてくれたから

私は、今の私になったと思います。

 

その、当時の私のような人がキャッツに来たら

私はちゃんと一緒にいられるかな、

う~ん、不安です(笑)

 

もっと自分の人間力を磨きたいと思いました。

 

次回のキャッツ会は

11月25日(金)です。

平日です。

よろしくお願いします。