キャッツ会のはなし

木更津の不登校、ひきこもり経験者交流の場を月に1回開いています。 当事者に限らず、周囲の人も。                   自分の過去なども書いています。cats.kisa@gmail.com

ここではない居場所

前回の記事で

ひきこもり新聞のことをお知らせしました。

http://www.hikikomori-news.com/

 

今回はもうひとつ宣伝

キャッツ会に来てくださる方が

「生きづらわーほり」

https://ikizura-wh.jimdo.com/

という活動をしています。

私、ひきこもり中ならぜひ参加したい!

私が居場所がない時代に海外へ行ったのと似た方向性を感じるからです。

今居る場所が生きづらかったり、社会とかかわるのが苦手な人も
受け皿のある場所で、何か貢献できるところがあると
安心して生きられるのではないかなぁ。

 

私がいじめられているときに感じていたのは

「日本だから、周りと同じを求められる。でもどこか、きっと違う場所に行けば
私を受け入れてくれるところもあるのではないか」って。

17歳の時に、アジアの開発途上国へ井戸を掘りに行きました。

NPO団体が2週間ホームステイ先を提供してくれるのです。

 

そこでは毎日思いっきり体を動かして、おなか一杯ご飯を食べて
たくさん笑って、ぐっすり眠りました。
それはとても「生きている」という感じでした。

 

そういう体全体が感じるメリットのほかに
その行動で得たことがたくさんありました。

・自分で決めて、自分で行動したこと

・現地に本当の家族のような人達ができたこと

・自分の力が何かに役立ったこと(井戸が完成しました)

・異文化を知ることで、自分の常識に縛られなくてよいと体感したこと

・言葉を知らなかったこと

 

誰かに言われたことではなく、自分で決めたことだったので
その楽しい2週間の体験は自信になりやすかったです。

現地の人たちの、物がなくても明るく生きていること

自分の国を大好きな姿勢がすごく新鮮でした。

そして日本人にはないストレートな愛情表現が

私には合っていました。

 

間違ったり、約束に遅れたりしても

基本笑っている国民性でした。
日本みたいに和、家族をとても大切にしているのですが

家族以外を助ける精神もすごく持ち合わせていました。

 

私が知っている世界はちっぽけだったなぁと。

 

あ、言葉を知らなかった、というのは
日本で散々言葉で傷ついてきたので(笑)

都合の悪いことは聞かなくて済んだからです。

 

今、彼らの言葉をだいぶ理解してきて聞いていると

やっぱり日本と同じで

誰かの悪口を言ってたり、噂話することあるんですよね(笑)

それはどこの国でもきっとあるんでしょう。

 

それと、私にとってその国が日常になってしまったら

きっと、嫌な面もたくさん知るのだと思います。

でも、たまに行く避難所のような、無償の愛をくれるおばあちゃんちのような

今いる日常場所ではない場所だから

きっといつまでも惹かれているのだと思います。

 

生きづらわーほりで

今まで行ったことのない場所で

今までの自分と違う自分を知ること(できることをやること)

きっと良い経験になるのではないでしょうか。

 

 

次回のキャッツ会

1月14日の土曜日です。
お気軽にご連絡ください。

cats.kisa@gmail.com