キャッツ会のはなし

木更津の不登校、ひきこもり経験者交流の場を月に1回開いています。 当事者に限らず、周囲の人も。                   自分の過去なども書いています。cats.kisa@gmail.com

いじめ後遺症3

前回の記事を書いてから

なんとなく、違和感みたいなものが自分の中にあって。


前回の記事、さらっと書き過ぎたなぁと。

学校へ行けなくなり始めたときや、進路が見えなくて苦しいとき

図書館や新聞で

私と似たような体験をした人の文書を読んでみたりしました。



その時に感じた違和感と似ていて。

「この人も辛かったみたいだけど、どうして大丈夫になったのかよくわからない。苦しかったみたいだけど、この人だから乗り越えられて、私には無理なんじゃないか」という感じの。

もし苦しい中に居た過去の自分が読んだら

「この人だからいけふくろうで友達ができたんだ、私にはできない」みたいな(笑)



でも、今ならそのとき、その人達の文章がさらっと感じた理由もわかります。

本当に当時の、どうしようもない感情からは抜けちゃったんですよね。

良いことではあるんだけど。

それから、今も残ってるドロドロした感情て、残った分、濃くなってて

あまりにも煮詰まってて

簡単に文にできないんですね(笑)


なので、同じキャッツ会の世話人

ブログ書いてるディーンの文章はすごいなぁと。

さらっとし過ぎてないし、煮詰まってもなくて

自然に心に入ってくる感じで。

ちゃんと自分の弱さも書けてていいなぁと。


私も、自分のもっと奥の部分を書きたいなぁと。


ということで(笑)

私の同年代の女性が苦手について、もう少し。

単純に怖い、ていうのはあるんですよね。

彼女たちが歩んできた道とは違い過ぎて、こんな自分が近づいて良いのか、みたいな劣等感や

話す内容がどうしても合わない感じを、1人で気づくと感じててとても寂しくなってしまいます。

(あ、勝手に壁を作ってるのもあるんでしょうね)


それでも、たまーに友達になれる人がいて

嬉しくて、嬉しくて

距離が近くなり過ぎて

相手にとって私が重くなったり

私が相手を重く感じちゃったりして

離れるんですよね。


その失敗を繰り返してます(笑)


いけふくろう で友達ができるようになった理由をちょっと考察してみると

2つの理由があるのかなぁと。


1つ。私、いけふくろうにそんなに期待していなかった。

最初は

「1人でも話せる人いれば、いいかなぁ」という軽さで参加したんです。


なのであんまり期待せず、居たことかな、て。

上に書いた女性との距離感とも同じで

期待すると、重くなるでしょ(笑)



あとね、2つめ。

たぶんこれが今日のメイン^_^


私、何回も何回も失敗してるんです人間関係。

誘われてももう二度と行きたくない場所もあるし、

行っても自分らしく居られないつながりもあります。

そうやって経験してきた学びと

タイミングが、いけふくろうは良かったんでしょうね。



同年代の女性とは心の傷に近い部分だから

避けやすくて経験不足で

今も苦手意識が残っちゃったんでしょうね。


女性て、群れるじゃないですか。

それって本能に近くて

共感や情報共有をすることで

生き延び易かったんですよね、古代。


でもその群れの中にどうしても入れない自分て

すごく生命体として弱い感じなんです。

動物も、そんな感じですよね?

群れに入らないと大変です。


その自分を直視したくなくて

弱い自分を感じたくなくて

ひとりでどこへでも行けるようになってしまった(笑)



女性を苦手な理由は

自分の自信の無さがすごーくわかりますよね(笑)

女性は自分を着飾ったり、綺麗なものがすごく好きな人が多い。


私、自分にオシャレして良い許可を出せるようになったのは

ここ数年です。

うん、1年半くらいです。


なので、みんながブランドの話しをしたり

流行にそったオシャレをすることが理解できなかったんですよね。

(あ、これは今もちょっと疑問)


それにも2つの理由があって。

でも、長くなるからそれは続く。